オタクと政治

規制論絡みについては、オタク的立場としてずいぶん昔からそれなりに関心はあった。「成人図書」事件(遊人「Angel」や、山本直樹(または森山塔はてまた塔山森)の「Blue」に端を発する”規制の名を借りた焚書”)もリアルタイムで体験している。このときは、本当に「…なんでこのマンガまで本屋からなくなるんだ?」というものまで、片っ端から書店の棚から消えていたことを今でも良く覚えている。どれも「自主規制」という名目ではあったけど、ツメの先の垢ほどにでも”疑わしきもの”があれば、問答無用で焚書(断裁処分)ということだったし。
まあ、それはともかくとして。
この三月の動きを一通り俯瞰してみてつくづく思ったことがいくつかある。

  • オタク自身の自虐的理由による*1政治や世間への積極的無関心は、もはや「オタクの存在否定」に近い状態。むしろ、あえて政治に関わらざるを得ない状況がある。
  • 単純な政党二元論で理解しようとすることの限界。『○○党を支持していれば問題ない』というのはもはや不可能。国と地方、個人と組織で同じ党内でも様々な考え方があるわけで、その都度選択して行かなくてはいけない*2
  • そのような理由なので、単純に「ネトウヨ」「ネトサヨ」(または同様のレッテル貼り)という意識付けをしようとする行為は、何も考えていないに等しい。(そのかわり頭が空っぽに出来るのでとても楽)
  • 規制派はすでに政治中枢まで組み込まれているため、完全に後手に回っている反対派の手段は「とにかく声を上げる」ことのみ。それも実名で。
  • 幸か不幸か、オタクを抜きにしても日本人の政治への関心度はまだ低いため、オタク達が選挙民として動く意味は大きい。
  • 「感情論で語る者は、相手からの理論的反論を聞かない。または数を理由に無視を決め込む。」ある種、「詭弁学」の集大成の場かもしれない。

今回の東京都の動きについては、多くの人々が「まさか成立するはずがない」と思っていたところが「実はそのまま簡単に成立する直前だった」という状況だった。規制派にとっては、千載一遇のチャンスであり、それは残念ながら現在も継続中だ。また、彼等は長い年月のロビー活動と献金で政治の舞台に十分な下地ができあがってしまっている。
だから、反対派の最大の敵は「飽き」だ。それこそ、数年スパンの超長期戦をゆっくり戦うくらいのつもりにならないといけない。あと「理論武装」かな。相手がまったく聞く耳を持とうとしないという根本的な問題はあるけど、突っ込まれたときに言い返せる材料はある程度準備しないと行けない…相手がひたすら「感情に触る物はすべて規制(実質的に廃絶)、そのためには嘘や詭弁、誇大広告も許される」という認識で悠然としていられる状態というのがくやしいけどね。

*1:オタクは特殊な趣味で堅気衆に警戒を持たせるのは自他共に問題という意識。

*2:例えば自分は保守傾向が強い。国会政党としての民主党の方針はとても認められない。でも都議会における今回の民主党の動きは支持できる。自民党はその逆。社民党は党是がまったく受け入れられないが、表現関連についての意見は非常に近い…などなど。