「どうする表現規制、民主主義の使い方を考えよう」に行ってみた・その2〜(7条と18条の合わせ技)

都条例改正案の恐ろしいところは、各条文単体だけを見ると問題がなさそうに見えること。しかし、複合的に見ていくと非常にたくみに作成されているという話。以下、会場で説明された概要。
まずは「第7条2項 (自主規制)」の部分。ちなみに自主規制とは、「関係団体/組織が自主的に行う規制」であって、その内容や方向について自治体や政治が介入するものではないとのこと。まあ当然。

第7条2項「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満のもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性行又は性行類似行為に関わる非実在青少年の姿態を視覚による認識することが出来る方法でみだり性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

赤字の部分について、補足説明があった。

  • 「性行又は性行類似行為」
    • この部分を見ると、”現時点では”単なる裸は入らないことになる。ただし、上位法である「児童ポルノ法」*1の定義が変更されたら*2規制対象となる。別の場所で言葉の定義が変わる可能性があるため、「地雷」とも言える。
  • 「みだりに」
    • 過去の類例から、これの意味することは「学術的見地・犯罪捜索目的以外のすべて」で確定している。なお「みだらに(淫らに)」ではないので間違わないように。
  • 「性的対象」
    • 都の説明では「不当に賛美・誇張」「強姦等を賛美・誇張」とのことだが、条文では「性的対象」としか記載されていない。つまり状況・表現・意味合い・相手の年齢にかかわらず、18歳以下の描写はすべて対象となっている
  • 「肯定的」
    • 過去の類例から、「告発目的に使う以外のすべて」で確定している。

以上をふまえて、改めて「第7条2項 (自主規制)」をざっくり読み下すとこんな感じかと。

第7条2項「本人の年齢・見た目・背景・連想させる"表示"や"音"から十八歳未満と思うもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする、又は非実在青少年による単なる裸以外(ただし今後変わる可能性アリ)の性行又は性行類似行為の状態を目で認識できる状態で、学術・犯罪捜査以外の目的性的関連性を想起させるものとして告発目的以外の理由で描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるものは、自主規制の対象とする」
 ↓
「二次元キャラで絵や声から18歳以下のように思うキャラが、性関係を想像させる状態(単なる裸は、"今は”除外)でいるのは、青少年の性に関する健全な判断能力と成長を阻害するから自主規制しなさい。ただし学術・犯罪捜査は別ですよ。でも、児ポ法の定義が変われば、そのままこの法律の内容も変わるよ。」

ただ、「そこに裸のキャラがいる」だけなら問題なし。ただし裸じゃなくても「性に関する行為をしているように見える」のはアウト。Aさんには見えなくても、Bさんが見えたらアウト。というか、『青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの』なんて書いてあるけど、じゃあ都は「健全な判断能力を形成するため」にどんなことをしているんだろうか。高校生にも性教育は早い!といって、教材を取り上げてしまう行為をしているところが。

次に「第十八条の六の四 (児童ポルノの根絶及び青少年性的視覚描写物の蔓延抑止に向けた都民等の責務)」の部分。ここの問題は、東京都が都民に対して「精神運動」を啓蒙すると宣言していること、つまり内心の自由の規制を宣言しているということなのだろう。

第十八条の六の四 何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する。
2 都民は、都が実施する児童ポルノ根絶に関する施策に協力するように努めるものとする。
3 都民は、青少年をみだりに性的対象として扱う風潮を助長すべきでないことについて理解を深め、青少年性的視覚描写物が青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するおそれがあることに留意し、青少年が容易にこれを閲覧又は観覧することのないように努めるものとする。

ようするに、単純所持規制を宣言している。また「根絶=焚書」に協力しなくてはいけないと定義されている。同時に、都民は監視しなくてはいけないとも宣言している。いわば昔あった「赤狩り」であり「監視社会」と同じような考え方じゃなかろうか。また、責務を有するとあるので、協力しない場合は条例違反となる(罰則規定はないだろうけど、社会的には抹殺されるだろう。痴漢冤罪ひとつであの騒ぎだ)。
なお、ここで「児童ポルノって、実在の被害者が存在するものだろ?じゃあ問題なくね?」と思ったあなたは正しかったりする。だが、条例ではちゃんと抜け道が造られているとのことで、その説明。

  • 都条例の”孔明の罠〜第三章の三:定義替え”

「第三章の三 児童ポルノの根絶に向けた気運の醸成および環境の整備」というものがある。これは前述の第十八条をくるんでいる章でもある。そして、”このタイトルで書かれている”児童ポルノというのは、従来言われている「実在児童」の事をさしているらしい(つまり、以前からあったということ)。しかし問題は以下の所。

児童ポルノの根絶及び青少年性的視覚描写物の蔓延抑止に向けた都の責務)

このボールド部分の説明は、その後に下記のように定義されている。

2 都は、青少年性的視覚描写物(第七条各号に該当する図書類又は映画等のうち当該図書類又は映画等において青少年が性的対象として扱われているもの及び第十八条の六の五第一項の図書類又は映画等を言う。以下同じ)...(略

この部分に対して、議会民主党の質問では「非実在も入る」と答弁されているとのこと(一般からの質問では「入らない」と回答があったらしい)。一般とは回答がぶれていることになるが、議会で正式に回答があった以上は範囲内と考えるのが妥当と思う。つまり、「児童ポルノ=創作物を含む」という定義になってしまった。勿論これは国会で現在進行形で論議されていることで、定義づけられていないことなので明らかに勇み足。ただわざとやっている可能性もある。なんせ、国会で同様の論議を仕掛けている人は、都条例改定に関わった人と同じだから。後付けで定義変更が可能というのは、前述の「ただの裸体はOK」と同じ状態である。
さて、最大の問題は、「都」「事業者」「都民」に対して、下記のように宣言されていることだ。

何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する。
2 都/都民/事業者は、都が実施する児童ポルノ根絶に関する施策に協力するように努めるものとする。
3 都/都民/事業者は、青少年をみだりに性的対象として扱う風潮を助長すべきでないことについて理解を深め、青少年性的視覚描写物が青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するおそれがあることに留意し、青少年が容易にこれを閲覧又は観覧することのないように努めるものとする。

つまり、都/都民/事業者は「児童ポルノ(この条例の定義では創作物を含む)」の非所持を責務とし、根絶に協力しなくてはいけない。

  • 都条例の”孔明の罠〜「自主規制」の意味”

前述したように、自主規制とは「業界・関係団体の意志と判断で実施する」ものであり、行政が口を出すものではない。しかし前述の通り「自主規制」とはいいつつ、「所持をしてはならず、根絶に協力しなくてはいけない」と都が断言している。都や都民もそれに協力しなくてはいけない=監視社会にしなくてはいけない。
また、第九条の二「表示図書類の販売等の制限」という項目がある(表示図書類=成人マーク)。いわゆる、業界に対して成人向けの本(性描写・残虐描写・自殺/犯罪誘発描写など)は成人マークをつけ、本屋はゾーニング(場所の区別+容易に関し可能な場所+青少年への閲覧・販売禁止)しなさいよ、という条例だ。ここでも、新たに「非実在青少年」という定義を追加して、創作物も改めて追加している。
さて。前述までのセットがそろうとどうなるのか。

  • 自主規制とは業界団体による「自分で決める規制」
  • それに対する都の判断介入:「18歳未満でエロいように見えるものはすべて加えろ」「書店・図書館はゾーニングしろ」「都と都民と業界団体は監視しろ」
  • 上記の言葉を、”都民は監視をしなくてはいけない”という条例に従って、都ではなく「協力している都民に言わせる」(自主規制だから、都が口を出せない)

つまり、昔懐かしい市民による「悪書狩り運動」の復活となる。
この状況のどこが業界団体による「自主規制」なんだろうか。事実上の発禁と同じ扱いだと思う。しかも前述のように「担当者や解釈者が代われば、その内容もいかように変更が可能」なあいまいな条文のままだ。さらに、国の「児童ポルノ法」が創作物規制を盛り込んだ場合は、自動的にこの条例もパワーアップすることになる。
業界団体からすると、もはや「自主規制の名を借りた発禁処分命令」となんら代わりがない
同人誌の即売会は行政や民間の設備を借りて開催するが、「所持しない責務」「根絶に協力」「青少年が容易に閲覧・観覧できないようにする」努力を求められた設備側が、果たして会場を貸すのだろうか。
同時に、警察権力にとっては「とんでもなくでかい網」を入手できたことになる。罰則規定がなかろうとも、「彼/彼女は児童ポルノの”根絶”に非協力的である」とレッテルをつければ、社会的に殺すことだって出来る。警察と協力団体は、最高に使い勝手の良い武器を手に入れることになる。
表現を生業にするものは、上記の「根絶」「努力義務」と「警察と協力団体による監視」を前提にした作品作りが必須になる。しかも基準はあいまいなままだ。たった一人の主婦が「これはポルノだ!」と叫べば終了である。キリスト教原理主義に近い団体の視点からすれば、世のマンガの大半が児童ポルノに見えているに違いない。そんな環境で作品を作ることが「自由な発想を阻害しない」と?一市民の執拗な抗議電話で図書館からBL本を撤去し焚書の直前まで行った堺市の騒動だってあったのだ。*3
(以下、4/29エントリに移動)

*1:ずっと国会で論議中

*2:創作物規制が発動し、創作・二次元の裸も駄目となった場合。

*3:最終的には「図書館の自由に関する宣言」にのっとって戻された…とあるが、すべてが書架に戻されたという情報はないとのこと。