「実在青少年問題を考える−私達に何ができるのか?−」に行ってみた。

コンテンツ文化研究会 / Institute of Contents Culture: 「実在青少年問題を考える-私達に何ができるのか?-」開催のお知らせ
文京シビックホールには数回脚を運んだことがあったが、「スカイホール」はその存在を含めて初めて。その名に恥じぬように、最上階26?階にその会場はあった。…もうね、秋の夜の東京の景色が一望できる。なんというロケーション。

講師:社会福祉法人カリヨン子どもセンター評議員・弁護士 角南和子
場所:文京シビックホール スカイホール

都条例の都議会再提出もほぼ確定同然であり、規制推進側の強引な手法も色々見えてきたこのタイミングで、コンテンツ文化研究会が興味深い会を開いたので拝聴しに行ってみた。開幕に当たって、コン文から次のような発言があったことは申し添えておく。

「今日はとにかく”実在青少年”の話である。非実在ではない点は申し添えておく。」
「あまりに話が重いので、これをやろうか非常に悩んだ。しかし、都条例で活動を行っていると「子供のため」という言葉が何度も出てくる。しかし、実際その内容がどういうものなのかはよくわからなかった」
「そのため、今回のような会を設けた。」

なので、今回の会合の内容が異常に重かった。真の児童保護の最前線とは何か、健全育成とは何かという部分で根幹を叩かれた感じだ。

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  • 児童保護の最前線と実態

社会福祉法人カリヨンこどもセンター」は、虐待被害から逃げてきた子供達を一時保護するために、東京弁護士会が作った「一時避難所」。施設は『自立援助ホーム』と『シェルター』の二つ。前者は15歳以上の子供が自分の力でひとり立ちするための支援組織で、児童福祉法上の事業として国と都から支援がある。後者は虐待被害から逃げてきた子供達を一時的にかくまう”緊急避難場所”で、その特性から場所は「非公開」というもの。今まさに被害を受けている子供を匿い、こども担当弁護士やスタッフの支援の下で、その後について考える場所でもある。被害児童の保護という意味では非常に大切な設備だが、シェルターは法制&行政からの支援は0で100%手弁当とカンパのみ。全国でも同様の設備が5〜6箇所あるようだが、どこも地元の弁護士会が作っているらしい。

  • 虐待児童について

幼少期から家族や身内に日常的に肉体&精神的暴力や虐待(殴打、強制、無視etc)を当たり前のように受けていると、ごく当たり前の一般常識や社会常識を体得する機会すら奪われる。そのため、シェルターや自立援助ホームに確保され自立した生活を行う際、「大人が食事の準備をする行為に驚く」「深夜に洗濯機を使用することに疑問を抱かない」など、通常であれば至極当たり前の生活ルールやマナー、習慣がまったく身についていないケースが非常に多いとのこと。
幼少から両親に虐待を受けているケースが非常に多い。男性の場合、その鬱屈によって青年期になってから親あるいは周囲に対して暴力的に振舞うケースが多い(当然の如く、加害者としてつかまる)。女子の場合、自宅に帰宅せず*1不純異性交遊や援助交際を行い、お金を入手しながら点々とするケースが多くなる。ただし、男子と違うのは「加害者」ではなく「被害者」という立場になるため、罪悪感は意外と少ない。
また何らかの理由で保護された際に「戻るべき家がない」状態であるがゆえに、未成年にかかわらず社会的基盤を失われ、のちの生活や社会生活に重大な問題が発生するケースが非常に多い。

  • 児童保護について

日本の法律では、18歳までは親権の保護があるため、たとえ「周囲から見ても耐え難い虐待が行われたのを見かねて、一晩でも泊めてあげる」という善意の行為を行ったとしても、法制上は『誘拐』と見られても仕方がない状態。
保護のきっかけは児童相談所や周囲の人々からの相談もあるが、何かのきっかけでシェルターなどの情報を入手し、自ら逃げ込んでくるケースが多いとのこと。
公的保護の設備として一時保護所(児童相談所の通告によって保護する施設。15歳まで)があるが、実はこちらの稼働率は200%を超えている。そのため、心身ともに傷ついている子供をケアするには「一人に一人の担当」が必要にもかかわらず、10人に一人の担当官・廊下で寝るなどの劣悪な環境にならざるを得ないのが実情。そもそも稼働率が200%なので「すぐに収容することすら出来ない」状況でもある。このため、過去何らかの理由で一時保護所に保護された子供達が、改めて一時保護所に入らなければいけない状況が出てきた場合、激しく拒否されるケースが多い。

  • 虐待児童への大人の対応

強く強調されていた絶対にやってはいけないこと。

どんなに正しくとも、大人から「XXXしたほうがいいよ」とするのは厳禁。正しいから受け入れさせるという行為自体が、すでにいけない。
大事なのは子供に対して「自分の人生を自分で考える機会を奪う」ことをしないこと。

つまり、たとえどんな選択肢であろうとも、彼ら自身に考えさせ彼ら自身が選んだ選択肢を最大限尊重してあげなくてはいけない。せいぜい「本当の最悪の選択肢を選ばせないためにカウンターを当てる」程度であり、それ以外はきわめて強い忍耐力で見守る必要がある。

  • こどもの権利に関する条約

日本は批准しているため本来であれば国内法と同様の扱いをしなくてはいけないのだが、現実の裁判において「こどもの権利条約に抵触しているので立証される」ケースが現時点で皆無とのこと。また国連は批准政府に対して五年に一度改善状況に関するレポートを提出させているのだが、その際「カウンターレポート」として民間団体にも提出を求める。そして、日本の場合は政府のものと民間のものとではまったく逆のことが書かれているとのこと。*2
…とまあざっとまとめてみたけど、都条例に絡んで規制派・反対派ともに口にする「子供のために」という言葉の内側は、これほど重いものだったという事実。もっとも、これらも角南弁護士に言わせれば「序の口」らしい。

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これらの事象を都条例と重ね合わせると、おおよそ以下のように考える。

  1. 幼少期から青年期の家庭環境が通常であれば、世間一般の分別は身につく。当然成人向けマンガや情報の内容がうそか本当か、それを実際に行うことによってどうなるかも判断できる。むしろ、それが出来ないということは、子供が生まれ育っている家庭環境の問題によって人格形成に問題が生じていると考えるべき。創作物の表現規制をしたとしても、根っこの対策がまったくなっていないためほぼ効果はない。
  2. 児童虐待から脱出してくる子供達は、少なくとも両親等の暴力対象の目を盗む形で情報を知る必要があるし、その機会と権利を有している。携帯やネットでの情報規制はそれらを奪うことになる。
  3. 子供に見せる情報は、それはどのような類のものであろうと制限してはいけない。それは子ども自身が持っている権利である。大人のすることは、それをよく見守り最悪の道に行かないようにすることである。
  4. 都条例でするべきは、そのような分別のつかない子供が育つ「家庭環境」にならないための支援であり、不幸にしてそのようなことになってしまった青少年の避難すべき場所への行政的支援であるべき。

本当の意味での、子供の健全育成や保護を目指すなら、まさにコノ部分をカバーする法制にしないと、ただひたすら「大人にとって都合がいいだけ」のものになってしまう。そして、都条例はまさにそういう方向に向かっている。
とにかくひとつはっきりしたことがある。本当に児童保護・青少年健全育成を目指すなら、大人がすべきは「忍耐」だ。子供の行動と判断を尊重し、本当の最悪に至ってしまう直前まで見守る姿勢。さらに言えば、その判断を育てるために幼少のころからしっかりと常識と躾を教えること。これが厳しい環境への支援こそが、本当の青少年健全育成といえる。
最後に、この会合の最後にコンテンツ文化研究会と山口弁護士を中心に、「実在児童の救済を支援する基金の創設(仮)」が発表された。詳細は、後日発表されるとのことだが、闇雲に都条例に反対するだけでなく、実際の青少年被害者への適切な支援が出来る組織を立ち上げることはきわめて有意義な活動であると思う。

主な参加者

*1:そもそも両親の居る場所に「自宅=安心して戻れる場所」という認識がない。

*2:政府提出は「順調」、民間手提出は「まったく進展せず」となっている。

*3:前回、都条例反対について最前線で活動された中のお一人。

*4:都条例問題初期から反対活動をされている弁護士。反対署名の代表人でもある。

*5:国会における児ポ法担当。規制慎重派。