とある作品の断末魔

あきそらは、近親相姦をモチーフとしていたがゆえに重版禁止のお達しを受ける - Togetterまとめ
チャンピオンREDで連載されていた「あきそら」という作品がある。「赤い核弾頭」と称賛され、都条例絡みでターゲットの一つになっていたRED作品らしく、その内容もタブーの一つに触れる挑戦的な物だったようだが、どうもそのタブーへの挑戦が原因で重版が禁止になったというお話。
あくまで作者自体のツイートなので客観性に欠ける点は割り引かねばいけないのだが、今の日本の出版業界ではこの話の真相や判断がまともに表に出てくることはないだろう。ただ、7月から本格施行される「都条例」を前に、出版者側が一気に規制に走り出したことは想像に難くない。しかも、「エロ」ではなく「社会規範的にタブーと言われるテーマ」自体が「自主規制」の形で封殺されるというのは極めて問題が大きい。そう、まさに「行政は何も言ってませんよ。あと出版社が勝手にやったことは判断する立場にありません」という大義名分が見事な形で発動しているのだ。これは、かつてあった「少しでもそれっぽい描写がある作品は、片っ端に書店から姿を消した」ことの再来…いや、よりもっと最悪な形に結実している。
なにしろ、

すでに問題は「エロ」ではないのだ。「社会規範」が「規制の原因」になっているのだ。これは原理主義的宗教と同義だ。

社会規範を強制する社会とは、マイノリティーを封殺する社会だ。マイノリティーを「敵」と大衆に認識させ、大衆に糾弾させ、大衆によって社会的に殺すことだ。そしてそれは「大衆がやったこと」であって「政治がやったことではない」のだ。だから政治は言うのだ。

「大衆が望み、大衆が自主的に行った行為に過ぎません。そして政府はそれを追認しただけです」と。

残念ながら、今の日本(とくに若者)はマイノリティーになることを極端に嫌う。仮に自分がマイノリティーだと知ったら、すぐさまそれをうち捨てて大多数側に逃げることについてなんの疑問も持たない。そして、彼等はマイノリティーを徹底的に糾弾し、その優越感ゆえにさらに攻撃を激化させる。しかもそれは大衆が支持してくれるのだ。合法的犯罪が大手を振って行使できる。何という麻薬。そんな彼等は、基本的に価値基準を外部に置く。

「自分がどうしたい。誰が何と言おうと自分はこれだ!」ではない。
「周りがどう見ているか知っているか」「周りの人に聞いてみな。ほとんどの人はこう言うよ」である。
自分はいない。如何に敵を作らないように…だけではなく、如何に敵を攻撃し優越感に浸れるのかが重要なのだ。

…同じREDに連載作を持ち、規制問題にも積極的に関わり、その中で前向きに進んでいる野上武志氏の対案コメントも聞いてみたいなあ。