安保法案可決

世界情勢の急速な変化に合わせた現実的な結果と思っている。もちろん戦争は嫌だ。
さすがに議論はもっとじっくりやっても良かったと思うけど、賛成側反対側とも互いの主張を叫ぶだけで妥協点も何もなかったので、そういう意味では完全に閉塞してた議論にはなっていた。それこそが与党側の見越し戦略であり、それに嵌ってしまったのが野党側という気もする。
60年安保、学生闘争ともに、反対派(少数派)は今よりもはるかに暴力的で数もそろえた反対運動を行ったけど、結局何も残らなかった。なのに今回まったく同じ事をやって同じ結果になった。選挙向けのいい宣伝材料にはなったけど、「どうあがいても確実に成立する法案」に対して「全部反対、廃案だ」はさすがに議会戦術としては下策過ぎたのではないかと思う*1。だって政治は結果がすべてであり、そこに書かれた法文がすべてだから。単純に全面反対してきた彼らは、その法案に彼らの思想を一文字も入れ込めなかった。それは彼らにとって成果なのだろうか・・・一定の票田を得られるだろう事は評価といえるのかもしれないけど。
逆の動きをとった議員もいる。たとえば表現規制反対の立場で有名な山田太郎議員は、ずっと反対の立場だったが最終的に消極的賛成に回った。しかしその理由は、反対派の立場からすこしでもその法案に歯止めをかけるべく「付帯決議」をねじ込むための戦術だった。そして、それは成果を残した。法案の中に明確に文として残るそれは、確固たる成果といえる。いつまでも非現実的な「廃案」だけを叫んでいたら何も変わらなかった。与党はその付帯決議は入れたくなかったが、「少しでも賛意を示す党を増やす」ために入れざるを得なかった。それを見越した作戦だ。前述の廃案のみを叫んだ党と、果たしてどちらが成果を残したのか。(さらに言えば、一度成立した法案がきれいさっぱりなくなることは日本の政治ではほぼゼロ)
国会を取り巻いた反対派の不安や憤りは分かる。それゆえの行動であったことも理解できる。しかし、「デモがクーデターや反乱にならない限り」それが実ることがないことは60年安保や学生闘争が証明している。であれば、デモと同時に議会戦術を練るべきだった。どうやって反対側の不安を解消させるための文言をねじ込むのかという戦いにするべきでった。しかしそれは一切出来なかったし、やれなかったし、実際にはやりもしなかった。学生団体以外にも関連団体に動員をかけたはずだが、それでも60年安保の人数からは程遠い。これが少数派の限界だ。このことは、表現規制反対の立場としても身にしみている。だから「頭を使って成果をねじ込まなくてはいけない」のだ。だけど、多くの政治家先生は次の選挙で当選したいから、そういう手段は使いたくない。結果「叫ぶだけで何もしない」。そして法案は素通りする。本当にそれでいいのか?

*1:選挙向け宣伝文句としては分かりやすくていいけど。