青年誌・少年誌向けエロと成人向けエロの違い

少し前に規制関連で話題になった「あきそら」を三巻までゲットしたので読んでみた。

あきそら 1 (チャンピオンREDコミックス)

あきそら 1 (チャンピオンREDコミックス)

あきそら 2 (チャンピオンREDコミックス)

あきそら 2 (チャンピオンREDコミックス)

あきそら 3 (チャンピオンREDコミックス)

あきそら 3 (チャンピオンREDコミックス)

まあ確かにエロいし近親相姦ネタだけど、どう考えてもさわやかに笑って終了って空気じゃないよなあ、これ。むしろ正面切ってタブーネタに望んでることとそれを許した編集側を褒めたい。近親恋愛どまりのネタはかなり昔からあるけどそこ止まりが大半。あえてそこを突破して現実を見せた上で「じゃあどうなる、どうする」で展開していく面白さがある。もちろん、これは今の時代だからこそ描けたというのもある。とはいえ、これは成人向けなのか…というとまったく違うと思う。んで、同じエロ系ということでもうひとつ。
To LOVEる -とらぶる- ダークネス (1) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- ダークネス (1) (ジャンプコミックス)

こっちはよくあるハーレムエロコメ。まあ「TO LOVEるシリーズ」はアニメくらいしか知らず、そのアニメも斜めで見た程度なので「なんかエロいアニメ」程度以上の感想は故人としてはないんだけど。んで青少年育成条例という観点で言えば、「肯定賛美的に描く」という意味においてこっちのほうがやばいんじゃねーかという感じ。「あきそら」よりもはるかに性に奔放だし。でもこれでも成人向けエロではない。*1
じゃあ成人向けエロって何だよという話だけど。個人的線引きでは次の印象が強い。

  • 青年誌・少年誌・少女誌的エロ…日本的精神エロ描写
  • 成人誌的エロ…欧米的肉体エロ描写

エロ本やエロ漫画やAVを見ているならわかるだろうけど、「成人向け」というのはそのものずばり直球的なエロの一言。おっぱいばーん!セックスばーん!お○んこばーん!なんというか、もう獣的なアレですな。肉体的な裸=エロという直接的なものであり、それ以下でもない。たとえばそれまでの物語とか精神的な交流とかそーゆーのは邪魔の一言。もう、「そんなのはいいから、とっとと裸を、セックスを見せろよ、おい!」なのが成人向け。まあ、さすがにそれだけではマンネリ化するし、精神性を大事にする日本人的感性にはなじみにくいこともあってか、そういう要素もそれなりに存在するけど*2
そしてそういう「あからさまなエロ表現」が日本文化にマッチするのかといえば当然合わないわけで。「裸=恥ずかしい」を超えてタブーにもいたるのが日本文化*3ということを考えると、昭和の欧米文化流入時は当然規制側はやっきになるわけで、ガンガン規制をしまくった。もちろんそれは「裸=エロ=不浄=禁止!」という流れになり、業界側はモザイク等の映像処理で対応して行くことになる。*4 *5ともあれ、こんなフィールドで「あきそら」「TO LOVEる」みたいなネタやり始めたらあっという間にNG。メインはエロだもの。そんなキャラの関係性なんて刺身のツマ程度の意味しかないし、そのツマに意味を持たせること自体がエロの邪魔でしかない。
では青年誌・少年/少女誌的なエロって何かというと、前述の様々な表現規制の網を掛け捲ってきた弊害/成果でもあると思う。つまり「直接的エロを描けないなら、精神描写=物語でそれを描くしか!」の行き着いた先であり、同時に「そういう方法でタブーをクリア出来るなら、もっと人の根源的欲求やエゴをテーマにもっと深い話が書けるじゃないか!」と気がついた作家側が、漫画という媒体をさらに成長させてきたことに他ならない。*6言ってみれば、規制をすればするほど作者側ががんばった結果になっている…もちろん、これは規制を正当化する理由にはまったくならないけど。ここで開発された技法は言うなれば「やむにやまれず」なのだから。ちなみに江戸時代に娯楽系禁止法案が何度も成立した経緯があり、それに似ているようにも思う。*7
だが「直接的なセックス表現」が駄目だから精神性・物語性で描く手法は、前述のように成人向けのフィールドでは使えない。直接エロが第一義だからだ。さらに言えば、性の目覚めと関心が最も高いのがまさに思春期の男女達だが、欧米と違いそういう世代への性教育や対処を「早すぎる」と放置/禁止してきた規制側の圧力もあって、彼らの中で悶々としたものがたまる一方であり、そういう意味で青年・少年/少女誌向けのエロ描写は世代的にマッチしているんだろう。
なので欧米でこういう「日本的な青年史・少年誌的なエロ描写」というか表現が少ないのも当然かと。周囲に奔放なエロがあれば、わざわざそういう表現手法を選ぶ必要すらない。成人以上のエロ解禁、ティーンエイジの性についても日本のような極端な情報閉鎖もない欧米では不要。その意味では、日本の現状は規制側自身がエロループを作り出している一人とすら言える。
だから、これを「青少年の健全育成のために禁止」とするのはむしろ無意味でしかない状況と思う。エロ描写のある本を読んだから、その人が犯罪者になると本気で言っている方々も居るが、それは過去の資料や欧米での犯罪発生率から比較してもまったくの妄言であることははっきりしている(彼らはそれをまったく見ようともしないけど。彼らいわくそういう資料は全て陰謀らしい)。児童ポルノの定義も海外ではまったく異なっているのに、そのことを説明することすらまったくない。意図的に情報を隠すことで市民を騙して扇動していることに正義を感じているのだから、とんでもないことだと思う。
ともあれ、エロと規制論というテーマで適当に考えてみた。まあ、この戦いは続くだろうし向かい以上に「何も考えずに多数派に乗り換え、少数派を攻撃することで優越感を満たす人々が増えた」こともあって、厳しい状況には変わりないと思うけど。

*1:まあ「集英社」と「秋田書店」という資本力の違いがそのまま指定のありなしにつながっている可能性もまったく否定できないけどね。

*2:それを逆手にとって「エロさえあれば好きにやれる」ということで「新人監督の登竜門」にもなった昭和ピンク映画…特に「日活ロマンポルノ」みたいなものもある。

*3:江戸時代までは普通にお風呂は混浴だったという例外もあるけど。

*4:余談だが、欧米で日本製AVが人気である一つがこのモザイクらしいこと。「あんなグロテスクなのを見たくないし、こっちのほうが想像が働くから良い!」だそうな。事実は小説よりも奇なり。もちろん最大の理由は、「西洋人より幼形成熟な日本人&かわいい女の子がAVに出ている」ということだけど。

*5:ただ、欧米のエロにも問題があって、「AVはこうやって作ること」みたいなガチガチなマニュアルがあって、事実上数種類の内容しか作れないらしい。海外の人が日本のAVラインナップを見て、そのあまりに多彩な内容に驚くのはもはや定番。

*6:もちろん「直接的に書いちゃ駄目」→「直接的じゃなきゃいいんだな!」と、当時の作家達が反骨精神逞しく戦って積み上げた様々な作画&演出技術の賜物でもあるんだろうけど(苦笑)。

*7:「何度も出た」というのは「規制が厳しい時代」以上に「禁止しても様々な方法で上を行かれてしまう」といういたちごっこなになってしまったことも意味している。