魔法少女まどか☆マギカ、魔法少女かずみ☆マギカ、魔法少女おりこ☆マギカ

本家が偉大すぎると傍流が大変なことになるという典型になっている感じか。

魔法少女まどか☆マギカ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女まどか☆マギカ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女まどか☆マギカ (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女まどか☆マギカ (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女まどか☆マギカ (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女まどか☆マギカ (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

基本的にアニメを追いかける展開…だけどアニメとまったく同じ事をしても意味がなく読者もエンディングをよく知っているという前提があるから、作者は本当にやりにくかったんだろうと思う。それがゆえに、第三巻最終話直前というイレギュラーな位置に「言い訳」「弁解」とも取れる異例の後書きを差し込んできたような気がする。「これから少し違うことするけど、勘弁してね」と。まあ、こういう風に作者に言わせてしまう空気も問題だけど。そう言う意味では悲劇だと思う。
昔語りはあまり好きではないけど、まだ「オタク」という言葉が「侮蔑語」以外の意味がなかった当時は、アニメの作画が回ごとに変わっても作画監督の個性として許容できたし、小説や漫画で展開が変わってもその出来自体が悪くない限り普通に評価もしていた。でも、今は「原典から少しでもぶれたら問答無用でアウト」という”原理主義的発想”があまりにも多い。それに異を唱えたとたん、その人もあっという間に異端のレッテルを貼られて攻撃対象になる始末だしねえ…。
魔法少女かずみ☆マギカ ?The innocent malice? (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女かずみ☆マギカ ?The innocent malice? (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

この「かずみ★マギカ」も同様の問題を抱えている。原作からずっと離れ、作風すらも変えてしまうという「世界だけをスピンアウト」を採用した結果、作者の好きに出来るようになった代わりに、本来のまどマギファンからは「全然違う」という評価しか得られない状態。難しいよねえ。私個人としては、原作に平松正樹さんがクレジットされているため別の意味で期待してるけど(苦笑)。
魔法少女おりこ☆マギカ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

魔法少女おりこ☆マギカ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

だから、この「おりこ★マギカ」がある意味一番やりやすいスピンアウトなのだろう。原作の雰囲気を継承し原作キャラをメインにしているけど、オリジナルストーリーで奔放に動かせるというオーダー。物語自体も終了した後であれば、そのつじつまさえ合えば問題なく好きに出来る。多少制約はつくとは言え、作者ファン双方が最大公約数的に幸せになれる作品になるとは思う。