ラブライブ

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過去作消化。色々疑問は解消。
放送当時話題になっていたのはよく知っていたし、今も多くのファンがついている事も知っている。故に今回本作を消化するにあたって当時気になっていた事の答えを求めてみていた。それは「なぜアイドルマスターのファンと対立が発生しなかったのか」と「ラスト近くに大騒動になったアレはなんだったのか」の2点だった。
前者はすぐに答えが分かった。そもそも視聴者の立ち位置が違った。アイマス側はプロデューサーといういわばアイドルと同じ場に立って同じ視点でキャラを追う。個人の立場で直接アイドルたちと接するという設定だ。逆にラブライブは一ファンとしてアイドルたちをフィルターの向こう側の存在として扱う。まあ、従来のアニメーションと同じ立ち位置になる。同じ「アイドルを扱うアニメ」ではあるが、いわば業界の内側と外側の話でまったく違う世界が広がっている。そりゃ喧嘩も対立も起こる訳がない。あの頃気にしていた自分自身の単なる杞憂だった。
で後者だけど…正直あそこまで騒動になるほどの内容だったのか甚だ疑問。所期の目的の達成と初期メンバーの脱退騒動による解散話は、アイドルものであればよくあるテーマだ。責任のなすり付け合いという点で「誰が悪者だ」論争があったようにも記憶しているけど、まだ10代の女の子である彼女らに感情のはけ口を自制して大人な対応を望む方がおかしな話。何とも遣り切れない感情を周囲の皆に当たり散らすのもさほど納得できないものでもない。それ故に、あの騒動が分からなくなった。
ただこういう話を聞いた事がある。昨今のラノベでは「最初から無敵の主人公」が設定されていることが多い。個人的には非常に疑問なのだがこれがかなり受けている。で、ネット上で色々調べてみると「創作物の主人公が負けると、読者の心が折れてしまうから、そうしている」といった論が目に入ってきた。世間やマスコミや政治から「犯罪予備軍」とまで揶揄された時代を通り抜けた身としては「どんだけメンタル弱いんだよ」とため息の一つも尽きたくなるが、この理由が事実であるなら、少し騒動の理由も見えた気がする。つまり「とても仲良しμ’sの面々が、感情を剥き出しにして対立する構図」自体が、ファンに取ってはとても恐ろしい映像だった、ということ。自身が期待して絶対と思っていた幸せ空間がキャラ本人たちによって壊される事態そのものを信じられず、それはそのまま自分の精神への直撃ともなる。それこそ先ほどの「無敵主人公ラノベの増加」と同じだ。それゆえに過剰に騒いだのではないか、と自分は思う。
さて作品自体だが、物語自体はよくある平々凡々としたもの。ただ流石はサンライズというべきか、映像や音といった要素の品質水準を上昇させて十分な品質作品に仕上げてみせた。ロボットものでは3Dキャラを動かしていたけど、女性アイドルではどうだろうという不安もあったけど、それもモーションキャプチャーを利用したぬるぬるした3Dモデルを採用して十分な品質になっている。(…個人的にはぬるぬる過ぎる肉感的な動きは、アニメーションとしてみるときは少し苦手で、アイマスアニメ並に「動画」として割り切った動かし方の方が好きだけど)そりゃまあ、これなら人気はでるよな、と。そうそう、かなり太めの女性キャラを出してきたのは、美少女アニメとしてはかなり革命的とも言えるかもしれない(苦笑)。デブではないけど肉感的な女性が好きな人にとっては「ようやく出てきてくれた!」というキャだったんじゃないかと思う。しかも序盤の彼女の陰の支援があったからこその結成だからこそ、さらに喜ばしいだろう。
第二期も録画済み。だけど、この大量の未視聴録画の山を切り崩してそこに行き着くのにあとどれくらいかかるだろうか。