クールジャパンというもの

総務省や外務省が「クールジャパン」を売りに海外にアピールしようとして数年が経つが、あまり大きな成果は上がっていないように思う。もともとクールジャパンは、日本独自の「サブカル(アニメ・漫画・映画等)」を海外への輸出材料にしようという目的があるのだが、そもそものボタンの掛け違いが発生しているのが最大の問題だ。
この掛け違いで最大のものが「良いアニメを輸出したい」という言葉だ。サブカルやオタク文化が分っている人にとって見れば、これがどれだけ「阿呆の言葉」なのかは誰でも分る。宮崎駿押井守等の著名人作品を並べれば海外人大喜び…なんてことがどれだけ浅はかなことであるのかを。
海外は確かに彼等巨匠への作品に大きな評価を与えている…が。真に海外が日本のサブカルに興味を持っている理由はその「無制限な表現幅そのもの」なのだ。「あいつら(=日本人)は未来に生きてるよな」「また日本がアホなことをやらかしたらしい、いいぞもっとやれやれ」と言う声が出ることこそが、「クール」なのだ。
同時に、海外と日本のアニメ・漫画への考え方の極端な差も考慮に入れるべきだ。海外では「アニメ・漫画は子供の物」という強烈な枠組みを設置した上で、そこでやれることも極めて制限を付けている(アメリカのコミックコードが有名)。それがない日本は、清く正しいものからエログロ暴力まで何でもござれのてんこ盛りだ。この無限とも奔放とも言える選択肢が許される文化から生み出された作品だからこそ、海外は日本のアニメ漫画に惹かれるのだ。宮崎駿押井守の作品は確かに素晴らしいが、その文脈なら海外でも作れてしまうし現に作られているのだ。
その上で提言したい。

日本が海外に輸出すべき「クールジャパン」とは、「商品」ではなく「その思考や文化そのもの」であるべき。

  • 「良いサブカル漫画・アニメ」という発想自体をなくす。玉石混淆こそが「クールジャパン」の源泉。
  • 「日本の漫画アニメ文化は特定年代専用のものではなく、子供・成人・老人のあらゆる世代に訴えることが出来るメディア」であることを明確に歌う。海外における価値観をひっくり返させる。
  • 日本のサブカルとクールジャパンの発展は「清濁含むあらゆる表現を許容し、個人実現できる懐の深さを持ったから」こそ実現した。
  • 昔から他文化を取り入れ日本風にアレンジして世界に発してきた日本。「否定することなく、取り込みアレンジ&同一化すること」こそが日本文化であり、その最先端の象徴がクールジャパンである。
  • 世界による文化・民族・宗教・思想の対立も、日本文化の「否定しない懐の深さ」と「許し」思考で越えられる。現に、初音ミクはあらゆる国境・思想を越えて全世界で愛されている。

要するに、海外に提示すべきは「商品単体」ではない。「子供向け→全年齢向け」「政治・年齢的に”正しい/善良な”表現→全ての表現の受け入れ」を表明することで「価値観の逆転」そのものを輸出するのだ。その価値観を世界にじっくり広げることで、日本の文化や商品を受け入れる下地が自然と培われていく筈だからだ。
だって、今のクールジャパン戦略は宮崎駿押井守等の巨匠が居なくなったらあっという間に終わってしまうもの。