ドワンゴとクリプトンと初音ミク(2)

で、ちょっと視点を変えてみる。今回の騒動については是非社会人新人の人に冷静に分析して欲しい。会社に入ってからはビジネス文書・ビジネスメール・顧客とのやりとりが頻発するわけだけど、言葉一つ、態度一つで相手への印象がいかに変わるのかという点についてがよく分かる好例だからだ(いや、マジで実例テキストで使えますよ、この騒動)。
ドワンゴ側のテキストはアカウントがないと読めない場所にあるけど、2ちゃんねるを探せば転載しているところがあるだろう。クリプトン側のコメントは無制限公開のblog上に。(どういう場所に文章を置くのが良いか、それだけでも印象が違うことは分かると思う)そして、互いのコメントはいつまで経ってもかみ合わない。
では、事の善悪はおいといて、この二つの文章を見て読者がどう感じるか、ということを考える。互いに敬語・謙譲語を駆使して文章を書いているが、美辞麗句を取っ払った後に残る要素は何か(小論文試験の要約テクニックと同じ)。その文章の書き手はどこを向いて書いているのか。あるいは、どういう人に見られることを想定して書いているのか。事実と仮定と意見をごっちゃにしていないか。さらに、この両者は「客商売」であることを加味して考える。・・・さて、好意的に見えるのはどちらか。
ドワンゴ側は基本的に一切の否は認めていない。ひたすら「他、ないしは権力のない人」へ責任を覆い被せ、権利面で闘っている(ただし、文章に責任者の署名が皆無*1。それに対しクリプトン側は、(可能な範囲だろうが)出来るだけ冷静に事実を述べ、否のある部分は認め、指摘する部分は指摘し、さらに今回の騒動で心を痛めているであろうユーザーやファン達にも謝罪をしている。しかも、社長の実名付き。
「相手に物を説明する」という基本的なテクニックにおいて、今回の騒動はいろんな示唆を提示してくれている生きた教材状態だと思う。

*1:その言葉が本当に正しいのであれば「ちょっと恐い会社だな」くらいの印象で止まるが、残念ながらネットで表明された各種情報は否定的