ジャーナリズム崩壊

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

大手マスメディアとネットを中心とする情報合戦(あるいは欺瞞工作)はもはや日常茶飯事になっているけど、少なくともその中で明確になってきているのが「日本のマスメディアの酷さ」。彼らにもメディアとしての矜恃とか誇りとか使命があることは十分に理解していることは分かっている。ただ、残念なことに欧米のマスコミと違って「積極的な自浄能力と自己分析能力、そして自己反省機能」が完全に欠如していたのがすべての誤りだった。。そして、今や彼らの「マスメディアとしての立派なお題目」は、単に彼等の暴走と専横の根拠になっているだけに過ぎなくなっている。
他者批判は対象&周囲の全てを潰してでも積極的に行うのに、自己批判は皆無。「真の客観性」など事実上無いことを現代人の大半は知っているのに、「われこそが中立&正義でござい」と踊り続けていることにすら気がついていない。本書にも書かれている「記者クラブ」の悪評に至っては笑うしかない。当初の目的は非常に立派な物だと思うし、その考えも正しいと思う。しかし、いまや「記者クラブを立ち上げるに至った元凶」に値する存在に、彼等マスメディア自身が育ってしまっていることに気がついていない。
印象深かったのは、アメリカにおけるニュースメディアは「速報性」と「調査分析性」の二つに分かれており、新聞は「調査分析」が存在意義であると言う事実。だから、何か事件が発生しても「速報はあっちにまかせろ。こちらはしっかり調査分析して紙面に出す」とあった。だから、向こうの人に言わせると「アメリカの”新聞”に当たる物は、日本では”週刊誌”である」という。日本では低俗と一段蔑まされている部分も多い週刊誌だけど、その方法論こそが本来の”新聞”であるという。これ、けっこう目から鱗だった。・・・ああ、だから秋葉原の連続通り魔事件の時に、欧米マスメディアから「日本の新聞は、まともに調査して記事を書くつもりがないのか」と批判されていたのか。
別に欧米のマスコミを盲目的に支持するつもりはない。本書の主張の中にも「流石にそれは…」と思う箇所もある。ただ、今の日本のマスメディアに対して言葉に出来ない多くの不満を持っている人ならば、一度読んでみる価値がある本だと思う。