ソフ倫の動きと表現規制

しばらくは無視しよう…と思いつつも、どうしても情報を探したくなってしまう。幼いころから漫画やアニメ・ゲームを主な趣味としてきた人間として、常にマスコミや規制派の槍玉に上がっていた場所にいたせいもあって敏感にならざるを得ないんだけど。
あれからいろいろな意見を見聞きしていろいろ考えたが、やはり今回のソフ倫の動きは下策中の下策であったと思う。それは「アダルトソフト業界」だけの問題ではなく、創作側の人間が必死になって続けていた『表現規制との戦い』に対して、「身内側があっさりと白旗を揚げた実績を作ってしまった」ことにある。
その結果が、突然国会やマスコミの話題に上がってきた「児ポ法改訂」や「ネット閲覧制限」等の法案成立に向けての加速や推進派団体の活動だ。幸か不幸か前者は与野党で大混乱に至っており、成立のめどは立ってはいないのだが*1。従来も少しずつ動きはあったものの、この活性化に至る最後のトリガーを引いたのは、間違いなく今回のソフ倫の決定である

  • 「流通側にこそ要望を出すべき(鳥山氏)」

…というこの意見はとても正しい。実際、そのとおりだと今でも思う。ただ、これをやるためには、創作者側にも「俺たちは断固戦う。迷惑かけるかもしれないけど一緒に戦ってくれ」という意思を提示してもらわないといけないのだ。そして、ソフ倫はそれをあっさりと捨てた*2。大元に戦意がないのに、なぜ周囲が協力して戦わなくてはいけないのか…一般社会において、これは誰もが体験し誰もが持つ反応だろう。このあたりについては、規制反対派の奥村弁護士の6/4に皮肉をこめまくったエントリがあがっている。
2009-06-04 - 児童ポルノ・児童買春・児童福祉法・強姦・強制わいせつ・青少年条例・強要・不正アクセス禁止法・わいせつ電磁的記録記録被告事件弁護人18年目 奥村徹弁護士の見解(050-5861-8888 hp@okumura-tanaka-law.com)
読んでいただければお分かりのとおり、文章の端々に苦笑や嘲りが聞こえるようだ。これまで戦ってきた彼ら反対派法曹関係の働きを、あっさりと無に帰したのだから、嫌味の一つは言いたくなる。まさに、「身内に刺されるとは思わなかったよ…」という気持ちではないだろうか。

  • 「歴史上ではよくある動き。新しい規制があるからこそ、新しい表現を求めていけばよい」

…という声を上げているクリエイターも何人か見受けられた。その心意気は買いたい。でも、その台詞は「推進派が好んで口にする言葉である」ことも知っておくべき。推進派はこの台詞の後に続けるのだ…「だから協力しなさい。あなたの意思と技術があれば、規制後だって表現方法があるに決まっている。それができないのは、あなたの努力と技術がないだけだ」と。そして、さらに規制は強まっていくのだ。

再度言う。
今回のソフ倫の決定は、『法律をつくらずとも、実質的に表現規制を行う方法が明確に提示された』ことが最大の問題なのだ。さらに『外圧とセットにすれば、これまで厳しかった表現規制が確実にいける』という確信を持たせたことが最大の問題なのだ。
規制推進派は世界中どこにでもいる(まさに今回のように)。そして、そのような団体に対する光と影の情報は、日本国内のマスコミはめったに報道しない(これはカルト系宗教も同じ)。さらにこの方法なら、国も官僚も政治家も規制団体もたたかれない。ひたすら内ゲバが続くだけだ。そして、それを横目に推進派がさらなる拡大するだけのことだ。
ソフ倫は生き残るためにこの決定をしたと思っているかもしれない。が、とんでもない。規制派の脅しや甘言に乗せられるまま、自分の首にロープを巻き始めただけのことだ。それを理解しているのだろうか。昔のように、黙って嵐が過ぎるのを待っていればなんとかなる時代でないのだから。自分で嵐を止めなければ、ひたすら強烈になるだけだ。今は、残念ながらそう言う時代。たばこもそうだったじゃないか。

*1:が、どこか突破口ができればあっさりクリアしてしまうのは、国会審議でよくあること

*2:いや、そもそも捨てることができる「何か」があったのかどうか怪しい