従来メディアとネットメディアにおける有権者の政治

政治関連の話を少し聞くようになって強く思うようになったのは、「新聞・テレビ」から情報を得る旧世代と、「ネット」から情報得る新世代との格差と政治への反映度合いのこと。通常の文脈では、前者が駄目でこれからは後者だ、という論調が多いけど、こと政治への影響力という点では、ネットはあまり役に立たないと今では感じている。
今回の表現規制問題でもそうなのだけど、「ネットでどんなに盛り上がって」も、政治家や政治家に影響力のある中年〜高齢者支持層にはほとんど伝わっていないと感じる。そして、政治家と主な有権者層である中〜高齢者は新聞やテレビから情報を得る。この断絶具合は、通常旧メディア側の問題としてあがっているんだけど、こと政治についてはまったく逆になると思う。つまり、旧メディア主体で政治が動いているという事実だ。
政治家の陳情において喜ばれるのは、「直接ボランティアor献金」>「直筆手紙(署名付)」>「ワープロ手紙(署名付)」>「メール(署名付)」>「手紙(匿名)」>>>>「メール(匿名)」というランクだろうことは、表現規制がらみの動きで理解できてきた。やはり、直接・直筆というのが政治家にとってのキーワードらしい。さらに言えば、政治家や中〜高齢者は新聞やテレビから「受動的に情報を得る」ことに全幅の信頼を置いており、ネット上の情報は信用していない。それは、同世代の政治家も同様と思う。逆に、ネットは「能動的に情報を得る」場所だ。自分で情報を探しに行かないと、何も得ることは出来ない。
この差=世代間の差はきわめて大きく深刻なことと思う。
そして、残念ながら日本のニュースメディアは大本営発表かつ自虐史観が身についてしまって、メディアリテラシーがほとんど崩壊してしまっている*1。即時性はないものの、確実な人数を確保できるのが旧メディア。逆に自分から情報を望んで探さないと何も得られないけど、今回のtwitterの件でも恐ろしいまでの情報拡散性を発揮したのがネットメディア。
残念ながら、政治はネットの速度にはついていけてない(ついていこうとしているのかも疑問だけど)。ゆえに、さらにネット世論はテレビや政治を信用しなくなる。悪循環だなあ、と。

*1:今回の規制関連で、条文をちゃんと読んで記事にした様子が合ったのは一誌もなかった。