軍事評論家・江畑謙介氏逝去

http://www3.nhk.or.jp/news/t10013057891000.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091012-OYT1T00483.htm
軍事評論家の江畑謙介氏が亡くなられました : 週刊オブイェクト

軍事とロジスティクス

軍事とロジスティクス

日本でほぼ唯一と言える「本当の軍事評論家」だった。60歳という年齢にも驚いた(もっと若いと思っていた)が、今この時代でこそ彼が必要なのに、まさにその時に亡くなってしまったという事実に、正直脱力を禁じ得ない。少なくとも、今の日本において60歳という年齢はまだまだ若すぎる。
この方の「紳士」で「真摯」な姿勢は枚挙に暇がないし、広く知られていることだ。何より彼は今の日本で「特定の政治思想に傾くことなく、冷静に軍事を評論できる」ほぼ唯一の人であり、「判らないことは判らないとはっきり明言」し「誤りは素直に訂正できる人」でもあった。日常生活も大変紳士であり、「私の仕事が減ることは、世界が平和であるということなのだから良いことだ」と明言されたこともあるという。
髪型で揶揄される向きもあるが、江畑さんのその姿勢と膨大な知識量に支えられた冷静で的確な解説による絶大なる支持があるからこそ許される事だったように思う。ある意味において、究極のリアリストでもあったのだろう。絵に餅を描いたような妄想たっぷりの平和主義を嫌い、人類の歴史・今という時代を冷静に見つめて「どうしても軍事というのは必要なのである。ゆえに、その力が行使される機会を如何に減らすのかが問題だ」と言い続けた彼の姿勢こそが、今の日本には必要じゃないだろうかと思うことは何度もある。
非常に、本当に、惜しい人を亡くした。これは国家的な損失と言っても言い過ぎじゃないと思う。彼の代わりになれる人は、おそらく日本にはいないし。そう言う意味でもかけがえのない方を日本は失ったと思う。
ご冥福をお祈りいたします。
(10/13追伸)
海外の日本への良い評価というのは、何も技術やオタク文化があるからだけではない。何より、ずっと昔から持ち続けている日本人の精神性が評価されているからこそ、今日の評判にもつながっている。そんな評価の一つに、太平洋戦争末期に首相をしていた鈴木貫太郎という方のエピソードがある。

鈴木はルーズベルト大統領死去の報道を知ると、同盟通信社の短波放送により、「私は深い哀悼の意をアメリカ国民に送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。」という談話を世界へ発信している。同じ頃、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーも敗北寸前だったが、対照的にルーズベルトを罵った。アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンは、英国BBCで「ドイツ国民よ、東洋の騎士道を見よ」と題して声明を発表し、鈴木の武士道精神を称賛した。
(Wikipediaより)

例え血で血を洗い、刃を交えた相手であろうとも、死者には十分な敬意を払う。彼にとっては極自然な振る舞いだったが、これが当時欧州に与えた衝撃は大きかったという。また、彼はこんな事も言っていたらしい。

日本人として是非とも残しておきたい美点は何かといえば、本当の武士道であると思う。ヨーロッパにおいて古代には騎士道があり、その精神は脈々と現在にも伝わって来ているのであろうが、日本が過去において世界に誇ってよかったものは武士道であったと思う。武士道は決っして武を好む精神ではない。正義、廉潔を重んずる精神であり、慈悲を尊ぶ精神である。これを失ったままにしておくことは日本民族の精髄を失うことになる。
楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseekより抜粋)

さて「かつての論敵」と自称している人物が、ただひたすらに故人を冒涜し扱き下ろすだけで、敬意が微塵もみられない手記をネットに公開したという。さらにその人物が、時の政権与党の国会議員様であるという。この事実に、驚きと同時に強い悲しみを感じてしまう。
故人への思いは立場や思想によって色々あるのは事実だろうし、それは一向に構わない。しかし、今まさに立ち上がったばかりの新政権与党の議員から、このような死者への敬意も、日本人としての美徳も、いやさ人間としての品性すらも感じられぬ言葉をみることになろうとは思わなかった。
あえてその人物の名前やblogをここで記すことはしないが、思うところは非常に多い。