涼宮ハルヒの憂鬱(再)

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今期終了第16弾。映画のための壮大な前説でないのであれば、一体なんだったのだろうか。
開始前から「おいしいエピソードは第一期でやり尽くしているから、残りカスだけ」「消失だな」「時系列に沿えばアレをやるにちがいない」「消失は劇場だろ」等々と話題ではあったが、まさかこんな結果がまっているとは思わなかった。おかげで、ラストの特報を見ても、喜びよりも失笑の方が大きかったのはここに記しておく。制作側の思惑を(それが嘘か真かは別にして)こうも簡単に透けてみせるような手法(いやさ、商法)は、はっきり言っていやらしいというか”野暮”とでもいうか。
当初予想されたように「第一期を越えるエピソード」は存在せず、エンドレスエイトの一連の問題*1も含めてほとんどの視聴者は今回のハルヒの放送に対して「愛よりも金か」という印象を持ったのではないだろうか。そしてその解答は、DVDやキャラソン等のキャラ商法が第一期よりも大きく売上を落としているという事実に示されている。あげくのはてに「劇場版 消失」と来た。第二期が存在しなかったのなら、おそらく喜ぶ人は多かったろう。だが、第二期分の放送を見終えた人で素直に喜べる人は盲目的なほどに京アニハルヒが好きな人くらいじゃないだろうか。シンプルに言ってしまえば、エンドレスエイトを2〜3話で終了すれば残り5〜6話分(2.5〜3時間=劇場大作一本分)で消失が余裕でやれるではないかという疑問がいとも簡単に沸いてきてしまうということだ。「空の境界」の大成功を聞いてからの各種アニメの劇場版ラッシュは、企画側(決して制作会社の意図ではあるまい)の銭に目がくらむ様子が簡単に想像してしまい、もはやキモチワルイ。その大半が「OVAでもいいじゃん」と思ってしまう程度の企画ばかり、という理由もある。
確かにオタク(特にアニメ系)は、一度気に入ったらとことん付き合ってくれるというこの不景気にはとてもありがたいお客様である。だが、「そこまでハマるくせに、意図に沿わないと判断したときの手のひら返しも極めて早い人種である」という点については、どうにも忘れ去られがちらしい。まあ、作品への不満が「企画・制作会社に向けられる」よりも「ファン同士の勝手な論争(信者vsアンチとはあえて言わない)で満足してしまう」結果、当事者達には不満が届かないということも問題なのだろうけど。

*1:今思うに、3回が限度だったろうと思う。それで十分視聴者にも「エンドレス感」は伝わったはず。「エイト」を8月ではなく8回としてもじったというなら、悪い冗談にも程がある。勿論「同じエピソードを違うスタッフで本歌取りしてみる」という観点では確かに面白かったのだが、それは制作者側の公開オナニーと言い換えることも出来るわけで、流石にこの回数やってしまうと自分も弁護できない。